私が住んでいる地域では、桜(ソメイヨシノ)は散り、葉桜になりました。桜を目で楽しめる期間は短いものです。先日、音楽「さくら」が流れていました。その後に、音楽「生きてることが辛いなら」が流れました。どちらの曲も森山直太朗が歌っています。私は音楽に詳しくないのですが、「さくら」は聞いたことがありました。「生きてることが辛いなら」の歌詞に驚きました。
生きてることが辛いなら
いっそ小さく死ねばいい
恋人と親は悲しむが
三日と経てば元通り
気が付きゃみんな年とって
同じとこに行くのだから
上記の歌は、2008年頃に世に出たようです。何でしょう。あの、つまり、その、歌詞に意味を求めてはいけないのかもしれません。懐かしソングの歌番組だったか、2人組の女性が歌っていました。その歌詞が、
私待つわ、いつまでも待つわ
たとえ、あなたが振り向いてくれなくても
待つわ、いつまでも待つわ
他の誰かにあなたがふられる日まで
確か、このような歌詞だったと思いますが、この歌を聞いた時も衝撃を受けました。ストーカーの歌!?かと思いました。たぶん、ストーカーの歌では無いでしょう。その後に3人組の男性が歌っていました。その歌詞が、
へい、らっしゃい!
トロは中トロ、コハダ、アジ
寿司くいねぇ!
俺の彼女はカズノコが好き
やるせないじゃない、恋は海苔巻き
小柱みたいに小っちゃな涙
どうぞ泣かないでキスあげるから
アガリ!!
( ゚Д゚) はぁ?
やはり、歌詞に意味を求めてはいけないのでしょう。
ストーカーの歌もガリガリの歌も、私が生まれる前の時代の歌かと思います。想像するに、スマホ(携帯電話)が無い時代、連絡を容易に取ることができず、相手を待つしかないのでしょう。ガリとは、ショウガのことです。アガリとは、お茶のことです。お寿司屋さんの用語ですね。隠語なのかな(?)なぜアガリが出てきて、ムラサキが歌詞にないのでしょう、と思ってしまうのです。ムラサキとは、お醤油のことです。江戸時代のお醤油は貴重品であり、その時代は紫色が高級色だったことから、ムラサキと呼ぶようになったそうです。
脱線しましたが、「生きてることが辛いなら」を聞いた時、生きていることが辛いと思う人がいるのだと、気付きました。正直、生きることはつらいこともあると私も思います。人間である以上は、何もしないで生きていくことは難しいでしょう。人間関係や、働くこと、生活する上での様々なこと、生きていると、(社会人になると、)年を重ねると、つらいこともあり、良いことばがりではないでしょう。ただ、生きていることが辛い、そう考える人は心が弱っているのかもしれません。そういうことを考えたことがない人もいるでしょう。考えたことがない人は、心が健康な人なのです。
上記の記事で、
>人一人、この世に生まれてきた意味があるのです。理由があり、この世界に誕生しているのです。
とブログに書きましたが、個人としての(生まれてきた)意味は、幸せになることのように思います。人間としての意味の有無は、分かりません。人間として誕生する確率は、もの凄く低いと、母から聞いたことがあります。人間として生まれてきたことで(すでに)幸せなのかもしれません。もしかすると、蟻(アリ)だったかもしれませんし、キリギリスだったかも、ゴキブリだったかもしれません。人間は欲があるから、ヒトとして生まれてきた幸せを忘れてしまうのでしょう。
日本では自殺幇助(じさつほうじょ)、死ぬ権利は認められていませんが、私は救済措置の一つとして、死ぬ権利を認めるべきだと思っています。不治の病(やまい)、耐え難い障害や苦痛がある、生死に関わらないが、治る見込みがない疾患など、安楽死は、スイスやオランダ、ベルギーなどで条件付きで許可されています。身体的苦痛のない精神疾患者は自殺幇助の条件に含まれていません。日本は、自殺幇助が合法化すること(機関ができること)は、この先も無いように思います。国に税金を納める人が亡くなられては困るから、税金の源が絶たれては困るから、日本で可決されることは無いでしょう。搾取され続ける国民は、国の道具であってはなりません。私が老後を迎える時は、年金はもらえるのでしょうか。
死ぬ(自殺する)ことは悪いことだとは思いませんが、重要なことは、そのような命を絶つ人が発信している何かしらのメッセージを受け取り、そうならないように手を差し伸べると言いますか、助ける(サポートする)ことが大切だと思います。そのような人(自殺したい人)が一人でも減るように、自殺をするような境涯にならないよう、みんなで助け合う必要があると思っています。