ナンシー・ケリガン襲撃事件、トーニャ・ハーディング選手他

 トーニャ・ハーディング選手(アメリカ出身)の波乱万丈な人生を振り返ります。リレハンメル五輪1994でジャンプ失敗後に演技を中断し、フェンスに片足を乗せ、審査員に「靴ひもが短すぎる」と涙ながらにアピールしました。アクシデントに見舞われた不運な選手というイメージがつきました。彼女の名を歴史に刻み、全世界を震撼(しんかん)させた出来事があります。そ、それは、ナンシー・ケリガン襲撃事件です。

ケリガン襲撃の犯人とは

 アメリカのトップスケーターであるナンシー・ケリガン選手がリレハンメルオリンピック出場を賭けた大会前日(1994年1月)に何者かに金属製の棒で足を殴られる事件が発生しました。犯人は分からぬまま大会は続行しました。この襲撃での負傷により、ケリガン選手はこの大会(選考会)を欠場しました。オリンピック出場の切符を手にしたのは、彼女のライバルであるハーディング選手(この大会の優勝者)でした。(ですが、ケリガン選手は奇跡の復活を遂げ、リレハンメル五輪に出場し、銀メダルを獲得します。)

 そして、およそ一週間後に犯人が逮捕されました。その正体が世界中を激震させました。ケリガン襲撃の犯人とは、ハーディングのボディーガードであるショーン・エッカート(男性)と、その数日後に逮捕されたハーディングの元夫であるジェフ・ギルーリーでした。2人ともハーディングの関係者でした。えええええ!?

疑惑、暴露、そして追放

 ハーディングはオリンピックに出場するために、元夫をつかい、ライバルであるケリガンを襲撃させた疑惑をもたれました。しかし、「私は無実よ!」と彼女はその疑惑を完全否定しました。そして、その事件から約一ヶ月後、彼女の元夫ジェフが「ケリガン襲撃はハーディングの指示だった。」と暴露しました!ハーディングは事件の関与を認め、全世界が注目する中、裁判が行われました。10万ドルの罰金に加え、500時間の奉仕活動など、有罪判決を受けたのです。その後、彼女はアメリフィギュアスケート協会から脱退させられました。事実上、スケート界から追放処分となりました。

借金地獄から女優デビュー

 ケリガン襲撃事件の代償として、罰金は日本円にして約1,000万円(10万ドル)、裁判にかかった費用が約4,000万円。彼女は借金地獄に陥ります。彼女の生活は非常に困窮していきます。そしてハーディングはアクション映画で女優デビューします。この映画で彼女は主演を務めます。カーチェイスシーンもあり、マフィアの男をボコボコにバンバン殴っています。映画プロデューサーからの強烈なオファーで抜擢され、銀盤から銀幕へ移行しました。演者としての評価は良いものではありませんでした。酷評されてしまいます。話題性が先行した結果、結局はヒール(悪者)になってしまいます。彼女は何をしてもバッシングを受けます。仕事では上手くいかないハーディングですが、その当時、同棲中の恋人がおり、プライベートは絶好調でした。

また逮捕、一児の母になり先生になる

 しかし、2000年に恋人の顔の形が変わるほどボコボコに殴り、彼女は逮捕されました。その恋人が彼女に殴られて死にそうだと。彼女の恋人(彼氏)は、刑務所に入ってハーディングから逃れたい隠れたいほど、刑務所への入所を懇願していました。警察の調査により、事件現場で彼女が使用した凶器が明らかになります。まさか、アイススケートの靴でしょうか?それは車のホイールでした。結局、この恋人と破局し、同棲を解消します。彼女は住居費を支払うことができず、自宅の立ち退きを命じられます。

 そんな中、チャンスが訪れます。彼女にとって輝ける職業、プロボクサーデビューしました。まさに天職でしょう。リンクからリングへ。あのマイク・タイソン選手のマッチメイクの前座を務めました。ボクサーとしての彼女の成績は、勝ったり負けたりで、いまいちパッとしません。話題性がなくなり引退することになります。その後、格闘家デビューなどいろいろありました。現在は結婚して一児の母になり、彼女は幸せに暮らしています。そして、スケートに携わっています。トーニャ・ハーディングは、スケート教室の先生として働いています。

 

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