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フィギュアスケートの最新情報や基礎知識などをブログに載せています。スケート業界では知られているものの、はっきりとは語られていないことやフィギュアスケートをする上で大切なことを考えていきます。

トーニャ・ハーディング選手の靴ひも五輪ハプニング、オクサナ・バイウル選手他

 前回の記事で、女子歴代トリプルアクセル(3A)成功者の一人にアメリ代表のトーニャ・ハーディング選手を記しました。ハーディング選手をご存知でしょうか?ワイドショーを騒がせたあの選手です。

トーニャ・ハーディング

 彼女は1994年リレハンメル五輪(のFSで)でスケートシューズの靴ひもが短すぎると涙で訴えた姿が印象的でした。そのオリンピックでは、ナンシー・ケリガン選手と同じ選手村で生活しました。1988年カルガリー五輪に出場した時は17才でした。アルベールビル五輪1992では、足を痛めて力を発揮できず、4位入賞。リレハンメル五輪は、彼女にとって3度目のオリンピック出場でした。

ケリガンとハーディング

 アメリカのケリガン選手とハーディング選手、女子フィギュアスケートは世界中の注目がこの2人に集まりました。ハーディング選手のリレハンメルオリンピック代表が正式に決定した日は、1994年2月13日のことでした。フィギュアスケート競技開始の10日前でした。ケリガン選手がハーディング選手を(成績で)追い超したのは、1992年アルベールビル五輪の時期でした。この大会でケリガン選手は銅メダルを、ハーディング選手はメダル獲得には至りませんでした。それ以来、ハーディング選手はもう一度トップの座を取り戻すため、激しい闘志を燃やしてきました。

 1994年リレハンメル五輪では、ハーディング選手は得意のジャンプが冴えず、小さなミスが目立ち、SP10位になります。一方、ケリガン選手はミスのないプログラムで(SP)トップに立ちます。そして迎えたFS(フリープログラム)の日。ハーディング選手は、失格になる時間ギリギリにリンクに上がりました。そして、彼女は開始40秒で突然、演技を中断します。直前の練習で靴ひもが切れて、準備ができないまま演技の時間になってしまった、と訴えました。ジャッジ(審判員)から再演技が認められましたが、結果は8位に終わりました。一方、ケリガン選手は綺麗に演技をまとめ、結果は2位になりました。

オクサナ・バイウル

 このリレハンメル五輪1994で女子フィギュアの頂点に立った選手は、ウクライナ代表のオクサナ・バイウル選手でした。バイウル選手の生活は試練の連続でした。父親は彼女が2才の時に行方不明になり、母親も彼女が13才の時に病気で亡くなりました。その後、彼女はスケートコーチに引き取られました。悲しみを乗り越えて手にしたオリンピックへの切符です。その彼女に本番直前、またしても試練が訪れます。FSの前日に他の選手と接触し、右足を2針縫うケガをしました。右足はジャンプで着地する足です。彼女は痛み止めの注射を打ち、FSの演技に臨みました。足の痛みをこらえながら、クラシックバレエで身につけた芸術性で優勝を狙います。5種類のトリプルジャンプを取り入れた見事な演技を披露し、ウクライナ初の金メダルを獲得しました。様々な意味で注目を集めた女子フィギュア、氷の上で最後に輝いたのは、清らかでひたむきな(当時)16才の少女、バイウル選手でした。

 

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