コイントス

フィギュアスケートの最新情報や基礎知識などをブログに載せています。スケート業界では知られているものの、はっきりとは語られていないことやフィギュアスケートをする上で大切なことを考えていきます。

安藤美姫選手と浅田真央選手、ジュニア時代より

 「自分らしく楽しみたい」と、安藤選手がよく口にしていました。安藤選手になりたいと言ってスケートを始める子供たちもいました。ジュニア時代から、安藤選手と浅田真央選手は他の選手に比べて、ずば抜けて光るものがありました。

新しい風、安藤美姫

 安藤選手は、ジュニアグランプリファイナル2003優勝し、その後の全日本選手権2003(シニア)で4回転サルコウを着氷させ、村主選手、荒川選手をおさえて日本一(金メダリスト)になりました。ニューヒロインが誕生した瞬間でした。そして世界ジュニア選手権2004でも優勝という驚異的な強さから安藤選手を見る世界の目が変わり、「4回転の安藤」と報道(メディア)も過熱します。そのような中でスケートが好きな気持ちが遠ざかっていってしまった時期もあったでしょう。自分の中にあるスケートに対する思いと過熱する周囲の期待に、体と心が集中せず、うまくスイッチが入りません。そのギャップに彼女は苦しみましたが、挑戦者として参戦した初めての世界選手権20044位入賞し、世界に強烈な印象を残します。光輝く魅力を感じさせる迫力のあるスケーティングを披露し、観客を魅了します。当時、新星の登場に新しい風を感じました。

天才少女、浅田真央

 その安藤選手も恐れていた存在が浅田真央選手です。浅田選手は、ジュニアグランプリファイナル2004全日本ジュニア選手権2004世界ジュニア選手権2005と、主要な大会で優勝しました(全日本選手権2004では準優勝)。この年のジュニア界は浅田のシーズンでした。世界から見ても、ジャンプ、表現力、スケーティング、テクニック、全て総合的に優れていました。12才頃から本格的に始めたトリプルアクセル(3A)の練習は、始めた頃は回転不足になることが多かったように思います。でも、2004-2005年シーズンは、しっかりと着氷させ、伊藤みどり選手が1989年の世界選手権で成功させて以来、ジュニア(女子)選手としては彼女が初めての成功者でした。失敗する雰囲気がなく、まるで機械のように正確で軽やかで確実でした。成長期に背丈が10cm以上も伸び、ジャンプの感覚が変わり影響が出そうなものですが、彼女は自分の体に合った動きやタイミングを瞬く間に習得できる天才少女でした。そういえば、世界ジュニア選手権で伊藤みどり選手の衣装を身に着け、滑っていましたね。この伊藤選手の衣装を着ると、いつも調子が良いそうで、集中してジャンプを跳べる、と話していました。

 また、周りからの期待やメディアの報道は次第に加熱していき、優勝しなければならないという思いもあったでしょう。ディフェンディングチャンピオンでむかえた世界ジュニア選手権2006では韓国のキム・ヨナ選手に敗れ、準優勝でした。この先、長らく激闘を繰り広げるライバルとなる選手がキム・ヨナ選手でした。

www.figfigure.com

TOPに戻る