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鉄の女、エテリ・トゥトベリーゼコーチの知られざる過去

 エテリ・トゥトベリーゼコーチが育てたチャンピオンはザギトワ選手やメドベデワ選手だけではありません。今から約6年前、ソチ五輪のセンセーショナルな偉業で、エテリコーチは世界中で知られるようになりました。あのユリア・リプニツカヤ選手を育てました。赤い衣装を着た天才少女は、ロシア開催のオリンピックの象徴にもなりました。

5人兄弟の末っ子

 エテリは毎朝、モスクワの郊外からサンボ70に通っています。彼女が地下鉄を一人で乗り始めた時は、まだ11才でした。彼女の両親が忙しく、スケートの送り迎えができなかったのです。彼女は、ごく普通のソビエト一家の5人兄弟の末っ子として生まれました。彼女の父親は二交代制の工場で働いていました。5番目は難産だったため、母親の命も危険に晒されました。そして父親は妻の名前を赤ん坊に名付けました。こうして、エテリ・トゥトベリーゼ二世が誕生したのです。とても厳しい家庭だったそうです。エテリが生まれる前に男の子(兄)が生まれています。子供の頃はその兄のお下がりをよく着ていて、男子のような服装が多かったようです。

スケート選手からコーチへ

 エテリは現役時代にシングルスケートで挫折し、アイスダンスに転向しました。彼女は選手時代、チャイコフスカヤやタラソワなど7回コーチを変更しています。ソビエト時代にスポーツ環境が悪化した時、彼女はアイスバレエに転向しました。親の反対を押し切り、18才の時にアメリカに移りました。彼女はアメリカでお金を稼げると期待していましたが、実際の状況は、かなりひどいものでした。1995年4月19日、オクラホマシティでテロ襲撃事件が起こりました。168名が死亡、700人近くの負傷者を出しました。ロシアのアイスバレエ団も被害に遭いました。彼女はこの事件でガラスの破片が体中に刺さり、大変な状態でした。のちにその保証金を受け取り、シンシナティへ行き、アイスショーに出演します。ショー出演と同時にエテリはこの頃からコーチとして働き始めていました。生活に必要なもの全てがアメリカにありましたが、家族が恋しくなり、ロシアに帰国しました。モスクワでは、彼女の両親以外、誰も彼女を待っていませんでした。その当時は、フィギュアスケートコーチとして仕事の空きはありませんでした。エテリは簡易リンクで介護グループのトレーナーとして職に就きました。本格的なスポーツ環境は彼女がアメリカから戻ってきて数年後に整いました。

一人娘ダイアナ

 エテリには一人娘(ダイアナ・デイビス)がいます。ダイアナは聴覚障害を患っています。少しは聞こえるようですが、部分的に読唇術に頼っています。ダイアナはとても健康的な子として生まれましたが、2才半の時に医療ミスで聴力に障害が出始めました。ダイアナの父親は娘の面倒を見ていますが、彼はエテリの正式な夫ではありません。ダイアナはアイスダンス選手として活動しています。

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