村主章枝選手の裏話、もっと知りたいあなたへ。トリノ五輪への道

 世界屈指の表現力と頑強な精神力をあわせ持つフィギュアスケーター村主章枝(すぐりふみえ)選手。氷上のアクトレスに隠された汗と涙と努力の日々を明かします。雄大な自然、アラスカで育った子供時代、アイススケートを本格的に始めたのは14才の時。遅すぎるデビューが招いたケガとの戦い。長野オリンピックを客席で見た挫折と屈辱。その悔しさをバネにしたソルトレイク五輪での大活躍。しかし、その陰には知られざる事件がありました。

日本からアラスカの地へ

 彼女は千葉県千葉市の大晦日生まれです。父は国際線のパイロット、母は客室乗務員の絵に描いたような華やかな家庭環境です。幼少期にお父さんの仕事の関係でアラスカ(アンカレッジ)に移住します。広大な大地が雪と氷に閉ざされる冬のアラスカでは、池や沼がスケートリンク代わりになります。それは彼女たちのかっこうの遊び場になりました。こうして彼女は日常の遊びの中でアイススケートを覚えていきます。帰国後は横浜で生活をスタートさせます。そこでスケート教室に入会します。それはアラスカでの思い出を忘れないようにとの親心から彼女のお母さんがスケートを習うことを始めさせました。運動よりも勉強優先の家庭だったそうです。

長野オリンピックまで

 意外ですが、14才の頃まで彼女は日本強化選手ではありませんでした。学校とスケート以外の遊ぶ時間も無く、忙しい生活を送っていました。第65回全日本選手権(1996年)初優勝した後、長野オリンピックへ的を絞り、猛特訓します。その厳しい練習を続けた結果、怪我は悪化しました。医師の診断結果は重度の骨膜炎。オリンピック選考会まで一ヶ月半という大事な時期の出来事でした。そして、翌年(1997年)の全日本選手権で怪我への恐怖心からジャンプを失敗し、荒川静香選手に五輪代表の座を奪われてしまいます。日本開催(長野)のオリンピックということもあり、日本中が盛り上がる中で相当悔しかったと彼女は言います。悔しすぎて眠れない夜を過ごすこともあったそうです。長野オリンピック1998では満員の観客席に村主選手の姿がありました。

ソルトレイク五輪まで

 その後、トレーニングの繰り返しにより骨膜炎は慢性化し、両足首靭帯損傷に。度重なるケガに苦しみ、大会でも思うような結果が出ない苦しい日々が続きます。そこで怪我やスランプと真正面から立ち向かう強い精神力を身につけていきます。2000年の全日本選手権で4季ぶり二度目の優勝を果たしました。

 2001年、世界選手権に出場し、7位に入賞します。その結果、ソルトレイク五輪の出場枠が2人になりました。翌シーズンのオリンピック代表選考を兼ねたNHK杯2001(グランプリシリーズ)でまさかの7位に終わります。しかし、その年の全日本選手権2001で村主選手は2季連続三度目の優勝を果たします。念願のオリンピック出場権を自らの手で掴み取りました。彼女に日本中の期待がかかりました。ところが、ソルトレイク五輪の本番3日前の練習中に右膝負傷します。大舞台を目前にして再び悪夢が襲います。右膝内側の打撲で酷く内出血をし、ひざが曲がらなくなってしまいました。腫れ上がった膝に注射器の針を刺し、内出血を取り除く荒療治を施すことになります。全身に走る激しい痛みに意地と根性で耐え抜きました。それは右膝の不安を抱えたまま迎えた五輪になりました。しかし、ソルトレイク五輪2002のリンクに立った村主選手に一切の迷いはありませんでした。抜群の表現力が評価され、堂々の5位入賞します。それは日本人初のメダリストである(アルベールビル五輪の銀メダリスト)伊藤みどり選手に続く日本人歴代2位の好成績でした。この時、彼女は氷上のアーティストになりました。

16才の伏兵、安藤美姫

 ソルトレイク五輪の活躍により、世界トップクラスの選手として村主選手は注目されるようになりました。その後も世界選手権(2002,2003)銅メダルを獲得します。全日本選手権2002では3季連続四度目の優勝と快進撃を続けます。そして、グランプリファイナル2003日本人初の優勝を果たします。ついに世界の頂点に立ちました。もはや国内に敵なしと思われますが、16才の伏兵に思わぬ敗北を期してしまいます。この年の全日本選手権2003で観客の注目をさらったのは、4年連続の優勝を期待された村主選手ではなく、(当時)16才の安藤美姫選手(全日本初優勝)でした。村主選手は2位に甘んじます。この頃から空前の女子フィギュアブームが到来します。世間が熱狂する中で日本のエースである村主選手にさらなるプレッシャーがかかっていきます。トリノ五輪前の世界選手権2005で日本人最高の5位に入賞します。演技の素晴らしさだけではなく、精神的な強さを見せつけました。村主選手はメダルに最も近いと存在と言われ、期待されていましたが、トリノ五輪2006でもメダルを獲得できませんでした(4位入賞)。

 

 これが彼女の全盛期。人生に正解も不正解もありません。村主章枝選手のトリノ五輪までの道のりにも多くのドラマがありました。結果だけではなく、オリンピックを目指す道のり(過程)も大切だと思います。人は失敗した数だけ成長できるものです。どんな人にも逆境は訪れます。逆境を経験した人は強いのです。

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