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フィギュアスケートの最新情報や基礎知識などをブログに載せています。スケート業界では知られているものの、はっきりとは語られていないことやフィギュアスケートをする上で大切なことを考えていきます。

差別、偏見、時代が変わっても、イジメがなくなるような世界は訪れない。小山田圭吾の炎上騒動に学ぶ。

 海外からも東京五輪は中止(延期)すべきだとの声がありますね。アフリカの国々より日本の夏は暑いなどと言われています。日本人としては複雑な気持ちになります。東京の次(2024年)の夏季五輪開催国はフランスです。フランスでは新型コロナウイルスの影響もあり、夏季オリンピックの準備が滞っているようです。

 

 昨日の新聞の一面に小山田圭吾辞退と大きな見出しが。ネット界隈では、小山田さんがフルボッコにされていました。私は、彼のことを知らなかったのですが、彼は音楽家なのですね。新聞には、小山田が東京五輪の開会式で楽曲を担当することが決まっていたが辞退した、と。過去に小山田がインタビューで答えた障害者イジメの内容があまりにも酷く直視できないような内容でした。しかも、彼は、そのイジメを自慢げに語っていたとか。某雑誌に掲載されていますが、それは20年以上前の記事で30年くらい経つのかもしれません。

 

 五輪はパラリンピックもあり、五輪ですから。今回の報道で、私のように初めて小山田さんを知ることになった人もいるのではないでしょうか。彼は、オリンピックに関わったことで、悪い知名度を拡散されてしまいましたね。その雑誌の記事は、約30年も前のことですから、過去のことを今さら掘り返すのも、という感じもありますが。ただ、そのイジメの内容が内容だけに、驚いてしまいます。社会に公表されなければ、それはそれで良かったのでしょうか(?)例えば、飲み会の席で障害者イジメを自慢げに話すことは許されることなのでしょうか(?)今回は、このようにメディアで取り沙汰された障害者イジメだけれども、口に出さずとも心の中で思っているだけであれば、それは許されることなのでしょうか(?)

 

 人間、心の内は誰にも分からないけれども、目に見える部分だけにフォーカスしているようにも思えました。目に見える部分しか分からないのだから、もし、その小山田がインタビューに答えた記事が無ければ、彼は東京五輪の開会式で楽曲を担当した英雄のような存在になっていたのかな(?)と考えてみたり笑。その記事が無かったとしても、また違ったかたちで彼の心の内が表れる問題が起こり、国民から叩かれたり炎上したりしたのかな(?)と思ってみたり笑。

 

 小山田さんは、NHKの子ども向け教育番組で楽曲を制作しているんですよね。良い音楽をつくるけれども、制作者は人間性に問題がある、というように、人間性に問題があるような人であっても、世の中に良い作品を生み出すことができれば、それはそれで良いのでしょうか(?)イエスともノーとも言えないグレーな部分。学校では白黒はっきりつけよう、などと教えられ、悪人がいて、善人がいる。バイキンマンがいて、アンパンマンがいる。でも、世の中は、グレーな部分が多い。

 

 小山田の件も審判員の判定と同じで多数決の結果、辞退(担当から外される)に至ったという感じでしょうか?これが、可もなく不可もない中立が一定数いて、彼が五輪で楽曲を担当することを相応しくないと思う意見が多いから、このような結果になり、国民が彼の障害者イジメについて何とも思っていなかったならば、何も問題になることはなかったのかもしれません。

 

 差別、偏見、時代が変わっても、イジメがなくなるような世界は訪れないでしょう。どんなに技術が発展して、生活が便利に豊かになっても、人間は昔から変わりません。医療が発展し、寿命が延びたとしても、人の生存年数には限度があります。風邪もひき、病気にもなります。新型コロナウイルスが世界中に流行し、人々の生活は多かれ少なかれ変わってしまいましたが、人間(生物)が変化するならば、新型コロナウイルスに耐性をもつようになる、つまり、新型コロナウイルスに強くなっていくのではないでしょうか?時間をかけて、何世代にも渡って耐性がある人間が多く生き残る世界になるのか、風邪の特効薬がない現代ですから、昔も今も人間の自然治癒力が一番の力になると思います。

 

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